紫式部や清少紗言、和泉式部が活躍した平安中期から百年以上経った平安末期、「零落小町」という話や絵画が流行した。もとは美しかった小町が落ちぶれて、見るも無惨な老けブスになるという話の運びである。この手の話の走りとなった『玉造小町子壮衰書』という長文の古い漢詩の一節が描く「零落小町」の有様は……。「容貌は憔悴して、身体は疲れ痩せ、頭は霜がおりたヨモギのようにぼさぼさの白髪、肌は凍った梨のようにジワジワ」。骨張って顔は黒ずみ、歯は黄ばみ、着る服も履き物もない。足は萎えて歩くことができず、朝夕の食事もままならない。破れた手さげに破れ笠、首には包みをぶら下げ、袋を背負うという物乞いスタイルで、路頭に迷っている。女は遊女屋の元締めの家(平安時代の遊女の身分は高く、貴族が遊女になったり遊女が貴族の妻となる例もあった)の子で、良家の娘だった。そして若かりしころ、いかに美しく優雅な暮らしをしていたかが歌われる。「十六歳にもならぬうちに三千人分の名声を集め、華やかな帳の中で愛されて外を歩いたこともない。朝には鏡に向かって“蛾眉”(蛾の触角のように形良い眉)を描いて容貌を磨き、暮れにはかんざしを取って“蝉翼”(セミの羽のように美しく曲げ整えた髪)に仕上げ、優美な容色につくろっていた。しかも顔には“白粉”と“丹朱九”(紅を絶やすことはない。桃のようにふっくらピンク色の顔は露)を置いたようにみずみずしくほほ笑み、柳のように繊細な髪は風に梳かれていた。腕はぴちぴちであった。以下「戸には水晶を浮かべ、床には珊瑚を敷き」「ナマスは赤鯉の腹の下の太った部分でなければ食べず」といったバブリーな暮らしぶりが延々と綴られ、「主君も臣下も日夜争って結婚を申しこんできた」というモテモテぶりが歌われる。ところが親兄弟は彼女を王宮の妃にしようと望み、一般人との結婚は許さなかった。そのうち十七で母が死に、十九で父、次いで兄、そして二十三歳で弟に先立たれると、召使たちは離散。財産は尽き、出家しようにも袈裟にする布も仏に供える食べ物もない。願わくば諸仏よ、孤独な身を導きたまえと女は歌い、聞き手である漢詩の男性作者は、この世の無常を痛感するという内容だ。
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