人生での必然的な出会い

2011.06.13

つい数日前、こんなハガキが届きました。「私たちは、今、素敵な山の頂上に立っています。でも、山を降りた後の二人の人生の旅は、決して易しいものとは思っていません。でも、二人で努力して一歩一歩前進することの喜びを、私たちは知りました。これからの私たちを続けて見守って下さい」山登りの好きな二人が、婚前カウンセリングを経て、挙式。スイスの山村でキャンプを楽しむというハネムーンに出かけ、ユングフラウ・ヨッホの山頂からのハガキです。このカップルは友人の結婚披露宴で知り合ったのです。たまたま同じテーブルに隣り合わせで坐り、それぞれ結婚観を話し合ったことがきっかけで、デートが始まり、二年ほどのつき合いのあげく、結婚にこぎつきました。そう、〈やっとこぎつけた〉というのが私の実感です。この二人は、かなり深いつき合いをしました。意見の衝突、感情のぶつかり合いのあげく、何度も、離れては、またやり直すという経緯を経て、やっと挙式に至ったのですから。この二人の結婚生活の旅は、決して“平穏無事”なものになるとは、私も思いません。でも、私は、この二人の、結婚生活をお互いに幸せなものにしていこうとする姿勢を信頼できるのです。いつの時代においても、ほんとに男女の出会いは不思議な出来事だと、私は思います。何かの運、何かの縁で出会い、結婚の契りを結び、結婚のドラマが展開される。どんなことがきっかけで、二人が結ばれるか分かりません。そこに偶然性を感じないでもないけど、人間の出会いには、何か必然性を私は感ずるんです。人生には〈会うべく人と出会う〉という必然的な出会いというものがあるような気がするんです。偶然の背後に潜む必然性。後者のカップルは、お互いの出会いの偶然性の中にも、二人の人間としての出会いの必然性を感じとり、それを育くむ作業に真剣に取り組んでいるのが感じられるのです。この二人は、友人のキリスト教式の結婚式に出席し、深く感じるものがあり、その時に、自分が結婚する時は、キリスト教式でやろうと決心したと言っていました。その願いどおりに、二人は愛の誓いの言葉を“神”と大勢の証人の前で交わしたのです。「……健やかな時も、病める時も、富める時も、貧しき時も、愛し、敬い、慰め、助け……」