夫は夫であると同時に男であり、妻は妻であると同時に女である。「そんなの当たり前でしょ、改めて言うまでもないわ」と、あきれられるかもしれない。私も自分が結婚するまでは、「夫は男で、妻は女だ」と、思っていた。けれども、多くの既婚者は嘆く。「結婚したとたん、夫は男でなくなり、妻は女でなくなってしまう」と。毎日、毎日、顔をつきあわせて暮らしている人に男や女を感じるのはむずかしい。新婚の頃はともかく、時が経つにつれて異性としての側面が失われていくのは、しかたがないことなのかもしれない。残念なことだと思うけれど…。もっとも、夫婦が男女としての意識を失っていくわけは、それだけではない。ほかにも理由があるはずだ。とにかく、夫婦は担うべき役目が多すぎる。その複雑さが、2人が男と女でいることを許さない。まず、夫婦は夫婦でありながら、父親と母親である場合が多い。赤ん坊は2人が男女であるからこそ得た結果のはずだが、なぜか夫婦は親になると男女ではなく、「パパ」と「ママ」として振る舞うようになる。最初はぎごちなく、しだいにそれがまるで天職だったかのように堂々と。一方で、夫婦はそれぞれの親たちにとっては、依然として子供である。それは人の子の親になろうが変わらない。当然、2人はそれぞれに息子と娘としての役目も果たさなければならない。この子供としての役目は、結婚前から果たしてきたものだから、配偶者にとっては「知らなかった過去」だ。そういえば、夫は私が実家で「お姉ちゃん」と呼ばれるのを初めて聞いたとき、なんともいえない不可解な顔をした。ひとりっ子である彼の辞書には、「お姉ちゃん」という言葉はなかったのだろう。けれども、弟が生まれてからずっと私は「お姉ちゃん」もしくは「オネボウ」と呼ばれてきたのだ。大人に歴史ありというが、私にだって夫に会う前の花の(?)独身時代がある。だから、夫が「お前の家族は変。なんで娘のこと『お姉ちゃん』なんて呼ぶのさ」という感想を漏らしても、私は気にせずに、言い返した。「変でもいいの。それに、あなただっておばあちゃんたちに『太郎ちゃん』って呼ばれてるじゃない。それもけっこうすごいよ」と。さらに、夫婦は家族の中だけで生きているわけではない。それぞれに対外的な顔も持つ。お姉ちゃんとしての過去を持つ私も、太郎ちゃんだった夫も、それぞれに一応は社会的な顔も持っている。結婚してから、私は「Mさんの奥さん」として主婦の顔を持って暮らしてきたし、エッセイを書くようになってからは、エッセイストと呼ばれたりもしている。夫は大学で人類学を教えているから、外では「先生」の顔をして過ごしているのだろう。このように、ちょっと考えただけでも、夫婦はさまざまな役目を抱えて生きていることがわかる。結婚する前は、ただの男女だったはずの2人が、結婚したとたんに、たくさんの役目を果たすようになるわけだ。具体的にいうなら、妻と夫、嫁と婿、父と母、息子と娘、先生と主婦等々、一組の夫婦が担う役目はあまりにも多い。これでは、男女でいることを忘れてもしかたがない。
[おすすめ結婚関連情報一覧]
東京南青山の教会挙式
http://www.le-anges.gr.jp/chapelle/wedding.html
東京の結婚式場なら南青山ル・アンジェ教会
http://www.le-anges.gr.jp/